北波多地区炭坑の歴史 ( 変遷 )

年号 西暦 炭 鉱 の 変遷 人口 年 度 推 移     
享保 1716~1736 岸山ドウメキで一農民が焚き火から燃える石を発見                     石炭発見
明治元年 1868年                        
明治 2年 1869年                        
明治 3年 1870年                        
明治 4年 1871年                        
明治 5年 1872年 岸山寺ン谷炭坑開坑                   開坑初年
明治 6年 1873年 村内炭坑数 岸山13、稗田15、山彦1 竹有1、合計30坑
帆足徹之助、永見伝三郎ら寺ン谷炭坑開炭坑
蒸気気缶を据付し井坑掘削法による
                     
明治 7年 1874年 村内炭坑数 岸山19、稗田22、山彦1、成渕3、竹有1、合計46                     鮎帰り炭坑開炭坑
明治 8年 1875年 ・徳須恵村岸本久五郎、稗田村伊藤三次郎、山彦村久野常太郎、成渕村岡本信作、岸山村小林理忠太、ら連名で県令北島秀朝に炭坑の窮状を訴願し打開策を懇願
・県令北島秀朝、大塊石炭500トンを大蔵省買上げ斡旋成る
                     
明治 9年 1876年                        
明治10年 1877年                        
明治11年 1878年                        
明治12年 1879年 村内各炭坑すべて海軍予備炭田に編入                      
明治13年 1880年 青木竹七郎寺ン谷炭坑再興するも失敗                       
明治14年 1881年                        
明治15年 1882年                        
明治16年 1883年 永見伝三郎が岸山から石炭2903トンを出炭
岩崎豊平が 岸山から石炭1401トン出炭
小笠原賢之進鮎帰り炭坑から石炭221トン出炭
                     
    村内炭坑数 岸山11、稗田32、山彦2、 竹有3、合計47坑、計4014トン出炭   寺ン谷                  
明治17年 1884年     12年                   
明治18年 1885年 竹内綱、竹内明太郎、高取伊好、外村宗次郎、魚澄総佐衛門ら、共同で芳谷炭坑開坑      芳谷                
明治19年 1886年 岸山前山炭坑落盤事故一名死亡                     前山炭坑
    芳谷炭坑採炭開始                      
明治20年 1887年 稗田に杉谷炭鉱開坑                     杉谷炭坑開坑
明治21年 1888年 ・稗田に浦の谷炭坑開坑                      浦の谷炭坑開坑
      ・小笠原長生が出資し、矢田進・福田喜蔵・原徳実・山田元貞・三宅吉蠲ら6人で小林理忠太の坑区を買収し矢代町炭坑の創設に努力                       
明治22年 1889年 矢代町炭坑開坑 
矢代町炭坑下層炭の採掘開始
       矢代              
    芳谷炭坑第二坑開坑                      
明治23年 1890年 ・芳谷佐五郎山炭坑開坑
・芳谷炭坑、山本心月寺下まで軽便軌道敷設
機関車送炭開始
                     佐五郎山炭坑開坑
明治24年 1891年                        
明治25年 1892年 矢代町炭坑一時閉鎖                      
    芳谷炭坑平均出炭量1日150トン                      
明治26年 1893年 ・田代政平・田口敬二郎共同経営で矢代町炭坑
復興再開坑
                     
明治27年 1894年 竹内綱ら芳谷炭坑を株式会社組織に改組
芳谷~唐津間に専用電話が開通
                     
    村内炭坑数22炭坑に減少                      
明治28年 1895年                        
明治29年 1896年                        
明治30年 1897年 7月の芳谷炭坑出炭量1日240トン
・芳谷炭坑経営者交代、新経営者
執行安太郎・木村勝蔵
                     
明治31年 1898年 芳谷炭坑で送炭用軽便軌道を複線とする
芳谷炭坑で軽便軌道をエンドレスロ-プとする
                       
明治32年 1899年 芳谷炭坑(株)会社設立、
芳谷炭坑で発電機購入、点燈・排水・動力に使用
芳谷炭坑は山本~大島まで鉄道筝炭坑開始
岸山サイコノ谷に芳谷炭坑従業員用火葬場設置
                     
明治33年 1900年                        
明治34年 1901年 ・稗田に古賀製次郎が代表で野依範治・下村
 銓之助・古賀新三郎らと岸岳炭坑開坑
         岸岳            
明治35年 1902年 岸岳炭坑の年間出炭量466トン                      
明治36年 1903年 岸岳炭坑の年間出炭量2176トン                       
明治37年 1904年 ・芳谷炭坑は毎日唐津線経由で石炭貨車5台
 1500トンを長崎へ輸送
                     
明治38年 1905年 岸岳炭坑の年間出炭量69670トン                      
    芳谷炭坑の年間出炭量189660トン       矢代              
明治39年 1906年 ・矢代町炭坑を三菱鉱業(株)会社が買収し 芳谷炭坑に合併       三菱              
    ・岸岳炭坑の年間出炭量82910トン                      
    ・芳谷炭坑の年間出量495852トン (鉱員1963名)                      
明治40年 1907年 ・芳谷炭坑で大火災、鉱員住宅43棟164戸、売店他20棟30戸、農家2戸消失
・芳谷炭坑の年間出炭量265518トン
5008                    
    ・岸岳炭坑の年間出炭量98412トン                      
明治41年 1908年 ・岸岳炭坑従業員1998名(鉱員1856名)
職員社宅29棟、鉱員社宅92棟
・岸岳炭坑第2坑開坑
                     
明治42年 1909年 ・岸岳炭坑の年間出炭量89094トン                      
明治43年 1910年 岸岳炭坑が岸岳炭坑合資会社と改称、古賀製次郎、下村銓之助、 野依範治で経営     芳谷                
明治44年 1911年 三菱鉱業(株)が芳谷炭坑を買収併合     三菱                
    稗田字山犬原に岸岳炭坑従業員用火葬場設置
岸岳炭坑鉱員1311名、出炭量年間88732トン
                   
    芳谷炭坑は県内出炭50%を出炭         岸岳            
明治45年 1912年 岸岳線が石炭輸送線として開通 5765       三菱            
(大正元年)   三菱鉱業(株)が岸岳炭坑を買収併合                      
大正 2年 1913年   5967                    
大正 3年 1914年                        
大正 4年 1915年                        
大正 5年 1916年 竹有通称 テシノクボ に稲荷山炭坑開坑 13100                   稲荷山炭坑開坑
    芳谷炭坑で火災納屋2棟全焼(7世帯)                      
大正6年 1917年 芳谷炭坑空前のストライキ(3000人参加)                      
大正7年 1918年 岩屋・相知炭坑の米騒動第二炭坑鉱員500人が待遇改善要求軍隊が芳谷炭坑へ波及
2個中隊出動鎮静化
17076                         
大正 8年 1919年 芳谷炭坑で火災、鉱員社宅2棟全焼・6世帯                      
大正 9年 1920年   17318                    
大正10年 1921年                        
大正11年 1922年 芳谷炭坑鉱員200人ストライキ                      
    山彦に山ノ谷炭坑ガメ本抗開坑                     山ノ谷炭坑ガメ本抗開坑
大正12年 1923年 芳谷炭坑縮小                      
    (相知炭坑と併合施設を相知炭坑に移す)                      
    上平野に四万年炭坑開坑                     四万年炭坑開坑
    下平野に山の口炭坑開坑                     山の口炭坑開坑
    山彦に四万年炭坑七重開坑                      
大正13年 1924年   5808                    
大正14年 1925年 上竹有四万年炭坑閉山(経営者・古賀長五郎)                      
大正15年 1926年 上竹有山の口炭坑閉山                     山の口炭坑閉山
(昭和元年)                          
昭和 2年 1927年                        
昭和 3年 1928年                        
昭和 4年 1929年                        
昭和 5年 1930年   6176                    
昭和 6年 1931年                        
昭和 7年 1932年 炭界不況で芳谷・岸山炭坑で計80名解雇
三菱鉱業(株)会社岸岳鉱業所(岸岳炭坑)閉山
芳谷炭坑再度人員削減
        三菱            
昭和 8年 1933年 三菱鉱業(株)会社芳谷鉱業所(芳谷炭坑)閉山
 従業員140名解雇
    三菱 三菱 32年            
昭和9年 1934年       49年 45年              
昭和10年 1935年   3959                    
昭和11年 1936年   3892                    
昭和12年 1937年 山口鉱業(株)会社唐津鉱業所開所(唐津炭砿)
唐津炭坑でガス爆発重軽傷者7名
唐津炭坑に水道通水完了
5523         山口          
昭和13年 1938年 唐津炭坑で5尺層に着炭 5808                    
昭和14年 1939年 唐津炭坑で巻き上げ機切断事故発生(死亡3名)
唐津炭坑に唐津炭坑病院設立
8345                     
昭和15年 1940年 ・唐津炭坑で開坑3周年記念と総合事務所、病院・映画館の合同落成祝賀会開催
・唐津炭坑で落盤事故発生(死亡1名)
9065                     
昭和16年 1941年   9615                    
昭和17年 1942年                        
昭和18年 1943年                        
昭和19年 1944年 唐津炭坑を住友鉱業(株)会社が買収し、井華鉱業(株)会社唐津鉱所となる           井華          
昭和20年 1945年   10015                    
昭和21年 1946年 新矢代町炭坑開坑 10047                     新矢代     
    村内各地に洗炭業始まる                      
昭和22年 1947年 唐津炭坑で行合野層深部上3尺層に着炭
唐津炭坑で第三坑開坑(後の江上炭坑)
10218                    
昭和23年 1948年 唐津炭坑出炭量52640トン 10327                    
昭和24年 1949年   10135                    
昭和25年 1950年 江上鉱業(株)北波多鉱業所開坑(江上寛吾) 10041           江上        
昭和26年 1951年 唐津炭坑でダイナマイト爆発(3名重症)
唐津炭坑でカッペ採炭開始
10360                    
    江上炭坑で落盤事故(2名死亡)                      
    唐津炭坑で835名人賃上要求スト                      
昭和27年 1952年 唐津炭坑で落盤事故(3名軽傷)
唐津炭坑で48時間スト決行
井華唐津鉱業所が住友唐津鉱業所と改称
10794         住友           
昭和28年 1953年 日東鉱業(株)会社日東鉱業所開坑 10944             日東      
    唐津炭坑でボタ山崩壊田中川一部塞止                      
    岸岳炭坑水害により60名解雇                      
    岸山炭坑水害のため鉱員160名解雇                      
    江上炭坑水害のため50名解雇                      
昭和29年 1954年 中島岸山炭坑閉山(従業員60名) 10985           北波多     新唐 岸山炭坑閉山
    牟田部炭坑閉山(従業員66名)                   牟田部閉山
    江上鉱業所が北波多鉱業所と改称                   江上(北波多炭坑)
    日東炭坑閉山                    
    唐津炭坑で落盤事故(1人死亡)                      
    新唐津鉱業(株)会社岸山鉱業所開                      
昭和30年 1955年 大日鉱業(株)会社大日鉱業所開坑 10808                   大日鉱業開坑
昭和31年 1956年 大同炭鉱(株)会社第5鉱開坑                     大同炭坑開坑
昭和32年 1957年 唐津鉱業所閉山式 8573         幸袋         正栄開坑(中本)
    住友鉱業(株)会社唐津鉱業所閉山(従業員777名、家族3000名)                      
    後を幸袋鉱業(株)会社唐津工業所継承                      
    唐津鉱業所が平安鉱業所となる                      
    新唐津炭坑で落盤事故(2名死亡・2名重傷)                      
    新唐津炭坑ガス爆発(6名重傷)                      
    12月岸岳駅取扱い送炭坑10233トン                      
昭和33年 1958年 稗田一帯で石炭盗掘、35坑口爆破封鎖 9552                    
    唐津炭坑で炭車暴走事故(1名即死)                        
昭和34年 1959年 岸山鉱業所(新唐津炭鉱)閉山(所長辻本助一、従業員278人) 9668                    
      稗田で石炭盗掘落盤事故(1人死亡)                        
    唐津炭坑でダイナマイト事故(一人重傷)                      
    稗田で石炭盗掘(タヌキ堀)24人現行犯逮捕                      
    稗田で石炭盗掘坑口60ヶ所爆破                   新唐  
昭和35年 1960年 末岡鉱業(株)水洗炭用ボタ山落下(一人死亡) 8642                 6年 末岡
    日東炭坑で落盤事故(一人死亡)                      
    唐津炭坑で落盤事故(一人死亡)                      
昭和36年 1961年 芳谷正栄炭坑で落盤事故(一人死亡)                     芳谷正栄
    唐津炭坑で機械事故(一人死亡)                       
    唐津炭坑でボタ落下事故(二人死亡)                      
    江上炭坑長雨で坑内浸水                      
    江上炭坑で落盤事故(一人死亡)               日東      
昭和37年 1962年 坊中炭坑一坑開坑               有田     坊中開抗
    唐津炭鉱坑内落石(一人死亡)                      
    江上鉱業(株)北波多鉱業所閉山(社長江上寛吾所長山上浪蔵、従業員321名)                      
    日東鉱業(株)会社日東鉱業所閉山(日東炭鉱所長平山博、従業員58名) その後有田炭鉱                      
昭和38年 1963年 唐津炭坑で落盤事故(二人死亡) 8642                    
    幸袋鉱業(株)会社唐津鉱業所閉山(所長白土有三、従業員450名)                      
    常栄鉱業所閉山(中本炭坑、中本民夫、79名)                     正栄閉山(中本)
    有田炭坑閉山(経営者有田博美)                      
    新矢代町炭坑閉山           幸袋 江上 有田 新矢代    
昭和39年 1964年 岸岳炭坑洗炭でボタ崩れ(一人死亡)           27年 12年 11年 18年    
昭和40年 1965年 末岡鉱業洗炭でボタ崩れ(一人死亡) 4900                   末岡
昭和41年 1966年 岸岳線洗炭運搬車日曜日だけ二台運行                       
昭和42年 1967年                        
昭和43年 1968年   4586                    
昭和44年 1969年   4580                    
昭和45年 1970年   4299                    
昭和46年 1971年   4354                    
昭和64年 1989年   5404                    
平成 2年 1990年   5199                    
平成19年 2007年   4811                    
平成22年 2010年     4800