佐賀新聞 平成12年10月29日
唐津くんち特集より転載



「″潮吹く鯨山″の夢」    佐藤驩

 唐津という城下町は、ふだんはひっそりと静まりかえって、こういっては申しわけないが「眠っているような…」街である。とりたてていうほどの観光地でもなく、温泉があるわけでもない。
 そういう唐津が私はなんでこんなに好きなのか。理由の第一は、その眠っているような静けさと落着きが心を癒してくれること。東京を脱出して唐津へたどりつくと、なぜかほっとして、「こんにちは」ではなく「ただいま」といいたくなる。そんな旅人を「いらっしゃいませ」ではなく「お帰りなさい」と迎えてくれる宿がある。
 理由の第二は、やきもの好きでことに唐津焼に代表される朝鮮半島伝来のそれに目がなく、ぞっこん惚れ込んでいる陶人が何人かいること。彼らの窯場へ押しかけ、泥遊びをさせてもらい、そのあとで盛大に開く窯場の酒宴の愉快さといったらない。酒器や食器を作っている陶工は必ず食いしん坊の酒好きである。そうでなかったらいい器はできないからだ。当然、窯場は酒も料理もたいていの料理屋よりよっぽどうまい。それに何より器がいい。
 そして理由の第三は、唐津供日(からつくんち)である。初めて「おくんち」を体験してからそろそろ二十年になる。私の最初の唐津供日を一晩がかりで案内してくれたのは、仙人のような風貌の高名な陶芸家だった。
 その男のやきものが好きでたまらず、「一度窯場を訪ねたい、会って話をしたい」と申し入れると、「来るなら霜月三日。正午に唐津駅で待っている」。あの日のことは二十年近くたったいまでも鮮明に覚えている。
 ホテルも旅館も取る必要ないよ、どうせ帰って寝るひまなんかないから…と、陶師がいった意味が唐津供日を引き回されて初めてわかった。あの日、あっちこっちと訪ねて上がり込み、飲み且(か)つ啖(くら)った家は記憶にあるだけで十一、二軒。最後のほうは半ばモーローとして陶芸家にくっついて行っただけで、もしかしたら十四、五軒は回っているかもしれない。いまは一日に四、五軒回ればダウンという情なさだが、あの頃は私も若かった。
 いつ行っても「半分死んでいるような…」いや訂正、「眠っているような」唐津が、おくんちの三日間だけは熱狂する。三月(みつき)分の生活費をおくんちの三日間のもてなしに注ぎ込んでしまい、来る客、来る人をトコトン「もう勘弁してください」というまで飲み食いさせずには帰さない。こんなお祭りが日本中ほかのどこにあるだろうか。
 飲むことと食うことにしか関心がないグータラ物書きとしては、あの日の感動いまだ消えやらず、以来、せっせと唐津供日に通いつめている。皆勤賞といえないのが残念至極。途中、一回だけ、身すぎ世すぎに追われて欠席してしまった。あのときは、毎年お邪魔している家々から、「なんで今年は来なかったんだ!」と、こっぴどく怒られた。怒られたことがひどくうれしくて、そろそろもう一度くらい欠勤してみようかな…と、よこしまなことを考えたりしないでもない。
 例年、建前(たてまえ)として、唐津供日に誘う相手を新しく選ぶことにしている。一人でも多くの人々に、「日本にはこういう凄いグルメの祭礼がある!」と、知ってもらいたい一心だ。
 おくんちは武家社会に対する年に一度の庶民の反撥と聞いた。確かにその通りだろうと思うが、もう一つ、私は「松浦党の伝統」をそこに感じないではいられない。早くいえば海賊の血だ。日頃は小笠原流の行儀作法を守っておとなしくしている倭寇(わこう)の血が、年に一度、噴き出すのだ。
 唐津供日に通うようになったおかげで、これなしではついに知り得なかったに違いない酒友がいっぱいできた。どんな偉い人であれ、おくんちに参加している間は、平気で肩をたたいて「さ、飲め。さ、食え」といえる仲間である。日常の現実社会では望むべくもない自由と平等の夢のような世界がここにある。
 唐津供日が唐津っ子のお祭りであることは承知の上で、他国者(よそもの)としてはつい、こんなことを夢みてしまう。おれたち外様(とざま)も参加させてもらえるような「十五番山」があってもいいんじゃないかなあ…。
 唐津のどの町にも特別深い関わりはないが、おくんちが好きで好きでたまらない…そういう外野席の応援団のために、もう一つ、新しい曳山(やま)を作るというのは許されないことだろうか。
 外様軍団としては、すでに十五番山の構想はきっちり固まっている。曳山巡行の一番うしろに、ちょっと一拍おいて、黙々とついて行くのは「鯨山」。松浦党の姿を現代(いま)に甦らせる新しい曳山があるとしたら、それは″潮を吹く鯨山″以外にあり得ない。

佐藤隆介
1936年東京生まれ。 東京大学卒業後、広告代理店のコピ-ライターを経て、故池波正太郎の書生をつとめる。 現在、亡師ゆずりの粋と洗練を伝える数少ない文筆家として、広告や雑誌で活躍。 食と酒、焼き物に造詣が深い。 編著に「梅安料理ごよみ」(講談社文庫)、
著書に「うまいもの職人帖」(文芸春秋)、「鬼平先生流 男の作法、大人の嗜み」(講談社)、「鬼平先生流 旅の拘り、男の心得」等がある。


カット: 大浦魚雲龍 色紙 「唐津供日 七番山 飛龍」 洋々閣蔵