#162   2013年9月


シェークスピア・ガーデンには、
戯曲や詩に出てくる木や
花が植えられている。

Thou art an elm, my husband, I a vine.
あなたは楡の木、旦那様、私は蔦。

このページは女将が毎月更新して唐津のおみやげ話や、
とりとめないオシャベリをお伝えします。
他の方に書いていただくこともあります。
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残暑きびしく、でも、夜には虫のすだきも聞こえてきました。お元気でしょうか。
私は、長い間イギリスに行きたかったのですが、
介護のためにどこへも行けませんでした。
母の一周忌を済ませた六月、夫がヨーロッパ旅行に連れて行ってくれました。
皆様の方がよほどあちこち行っておられて、私が書くほどのこともないのですが、
シェイクスピア関係のことだけ、ちょっとお話ししたい気分です。
お読み頂ければ幸いです。


ロンドンとストラトフォード・アポン・エイボン
シェークスピアの旅
2013年6月


ロンドン、テムズ河畔のバンクサイドと呼ばれるところに、シェイクスピア劇場グローブ座があります。この写真はグローブ座のミニチュアです。

まずこれを見て、全体の位置関係を頭に入れてから、中のツアーに出発する。ガイドの女性がすばらしかった。よく通る声、美しい発音や豊かな表情、ゼスチャーなど、演劇を見ているような感じで、あとから、「あなた、女優さんでしょう?」と聞くと、笑って、「いいえ」と。
グローブ座の外観.
シェイクスピアの当時、テムズ川の岸辺のこの円形、正確には20角型の劇場は目をひいたことだろう。1644年に取り壊されたあと、長く跡地だけだったが、再建された。基金を設立して、世界中から寄付を集めてここを再建したのは、イギリスでなく、アメリカ人の俳優だった。
近くのサウスワーク大聖堂では、グローブ座を再建したアメリカ人の俳優、サム・ワナメイカーの記念碑を見た。


In thanksgiving for Sam Wanamaker
ACTOR
DIRECTOR
PRODUCER
1919-1993
whose vision
rebuilt
Shakespeare's
Globe Theatre
on Bankside
in this
Parish
すぐ近くの市場では、色鮮やかな初夏の果物、野菜があふれんばかり。ちょっとここを冷やかして、ジュースなど飲んで、次へ。すごいロンドンなまりの英語が飛び交う。
次の日はいよいよあこがれのストラトフォード・アポン・エイボンへ行く。
ヘンリーストリートにある、シェイクスピアの生家。
少しゆがんではいても、まだしっかりしている木造の家。結構お金持ちだったんだな、って感心。
広いです。ぎしぎしと音がする木の床を歩いて、各部屋を回りながら、牛乳瓶の底のようなぶあついガラスの窓から、明るい日差しが屈折して入って来て、ベッドルームの子ども用のベッドをみたり、壁にかかっているタペストリーの古めかしい模様を見ていると、時間が止まってしまう。
生家の横に庭園があり、壁には藤が巻きついて、花の盛りだった。ソネット集から藤の詩を。
That time of year thou mayst in me behold
When yellow leaves, or none, or few, do hang
Upon those boughs which shake against the cold,
Bare ruined choirs, where late the sweet birds sang.
(Sonnet 73)
父のジョン・シェイクスピアは、手袋職人だった。この部屋には、手袋造りの道具や、革や羊毛が置いてあって、すぐにでも手袋が作れそうだ。職人といっても、のちに町長にもなった人だ。中流だったのだろう。
ロミオとジュリエットから、手袋のせりふを。

See how she leans her cheek upon her hand.
O that I were a glove upon that hand,
That I might touch that cheek.

(Romeo and Juliet, 2.2.23-5)

チューダー朝時代のメイドのコスチュームを着たおばさんが、ガイドをしてくれる。おばさん同志で仲良くなって、周りに人のいない間しばらくおしゃべり出来た。ボランティアだそうな。いいなあ。わたしもこんなボランティアしたい。
庭に出ると、その時代のお嬢様の服装の女性がいて、女優さんだって。私達が明日ハムレットを観ると言うと、オフィリアを演じて下さった。なんともぜいたくなことだった。
そのうち、予約してあったらしい学生の集団がやって来て、こんどは若い人たちの為に、ジュリエットを演じていた。私も、知ってるセリフを小さな声で言ってみた。一緒にジュリエットになった気がして満足!
この庭は、オリジナルのものではないが、シェイクスピアの詩などに出てくる花を植えてある。たとえば、ポピーは、下記のオセロのせりふに出る。

Not poppy, nor mandragora,
Nor all the drowsy syrups of the world,
Shall ever medicine thee to that sweet sleep
Which thou owedst yesterday.
Othello (3.3.368-71)



次に行ったホールズクロフトは、シェイクスピアの長女・スザンナが夫の医師・ジョン・ホールと住んだ上流階級の家。
17世紀の、エレガントな家だ。
ホール家の書斎には裕福な家らしい調度品が並ぶ。当時の医薬品や医術用品がに残っている。
ホール家の居間。 温かな暖炉、広いテーブル、いろいろのデザインの木製の椅子。ここのボランティアさん達は特にお花がお好きみたいで、どこの部屋にも花がいっぱい。
花があると、家が生きてるように感じられる。
木造の家の温かい雰囲気は、ひょっとすると、梁も柱も、木の本来のかたちをそのままに使ってあって、むりに削ったり、サイズを合わせたりしてない自然さからくるのかもしれない。
シェイクスピアにゆかりのホーリー トリニティ チャーチに行く。800年の歴史を持つ美しい教会だ。
外観は、やはり高い尖塔がそびえるゴシック建築である。
内陣。
三方のステンドグラスが美しい。
いくつもの礼拝堂があり、それぞれに美しい。
シェイクスピアの洗礼と埋葬が記録された教区登録簿のコピーが展示されていた。
1616年にシェイクスピアはここに埋葬された。左には妻の、右には、娘、そして娘婿の墓が並んでいる。この特権が与えられたのは、彼が1605年に「平教徒教区牧師」というのになっていたからだそうだ。

エイボン川は、中世から縦横に掘った運河とともに重要な物流の中心的役割を果たしてきた。川幅が狭いので、ここの船はとても細長いナロウボートだ。白鳥がエサを求めてボートに寄ってくる。エサがいつでも貰えるので、渡り鳥でなくなって、定着しているらしい。
この写真は、ロイヤルシェイクスピア劇場の最上階のルーフトップ・レストランから見た景色。

「オセロ」から、白鳥が出るせりふをどうぞ。

What did thy song bode, lady?
Hark, canst thou hear me? I will play the swan.
And die in music.
(Othello 5.2.284-5)

観劇の前に予約していたレストランで、気取って食事したが、酒がだめな私はワインも飲まずに水だけ飲んだ。損だよねえ。料理はけっこうおいしかったが、量が半端じゃないので、三分の二でギブアップ。高かったのに、もったいなかった。デザートもそこそこに劇場に下りて行った。
劇場の入り口で。6月というのに、震えあがるほど寒かった。
「ハムレット」のチケット。前から3番目のいい席。49ポンドだった。日本からインターネットで予約していたので、スムースに入れた。
現代的にアレンジされた「ハムレット」で、舞台はこんなに簡素。真ん中にステージがあり、周りに墓掘り人がシャレコウベを掘り出すための土の部分がある。開演すると写真が取れないので、人の少ないうちに写した。日本の歌舞伎の花道のような斜めに客席を横切る通路が作ってあって、亡霊はそこから登場し、また去って行く。
チラシの後ろには、たくさんのメディアの劇評が載っている。最高級のほめことば。

出発前に原書でハムレットを読み直して行ったにもかかわらず、早い英語についていけない。ところどころわかった、という位。でも、ぜんぜんわからなかったわけではないので、自分としては上出来、と言いたいところだが、時差ボケの為に時々うつらうつらしてしまい、名セリフのいくつかを聞き洩らした。一生の不覚!To be or not to beは、ちゃんと聞きましたってば。

翌朝アン・ハサウエイのコッテージを訪ねる。シェイクスピア・バースプレイス・トラストが管理する5つのシェイクスピア関連の家の内で、一番人気らしい。とても美しい。屋根は茅葺。木造で、柱としっくい壁とのコントラストが魅力的だ。けっこう広くて、アン(シェイクスピアの妻)は、金持ちの娘だったことがわかる。ガーデンも大変広く、すばらしい。若きシェイクスピアは、8歳年上のアンと恋に落ちてここに日参したらしい。当時は車もないので、通うのがたいへんだったろうな、と、ツアーバスの中で思った事だった。
この家の家具は、上質で落ち着いた雰囲気。ベッドもうんと上等。そのままホテルにしてもよさそう。ベッドの足元にかけてあるのは、当時の下着を再現したもののようだった。
次に、メアリー・アーデンの農場へ。
メアリーは、ジョンの妻で、ウイリアム・シェイクスピアの母。豊かな農場で、メアリーが何人かの兄弟のうちでここを相続した。馬舎、鶏小屋、豚小屋、パン焼き窯、乾草の貯蔵所、その他いろいろ、中庭も運動会が出来そうに広い。中には、レストランや、ショップもあり、1時間くらいでは見きれなかった。今でも実際に農場として機能しているそうだ。
チューダー時代のメイドの服装の女性二人が台所でおしゃべりをしながらチーズを作ったり、野菜をゆでたりしていて、ほんとうにおいしそうな匂いがたちこめていた。観光スポットで、こんな魅力的なサービスが出来るのは、いいですね。その時代の生活感、生きた人々の息吹を感じることができる。
最後は、ナッシュの家とニュープレイス。
トーマス・ナッシュはシェイクスピアの孫娘の夫で、裕福だった。ニュープレイスはそこに隣接していた家で、シェイクスピアの1616年の死までの最晩年を過ごしたところだ。今は、美しい庭園になっているが、再建されるらしい。
ニュープレイスの跡地のガーデン。ナッシュハウスの壁にも藤が盛りで香りがたちこめていた。
ここが最後で、シェイクスピア関連の見学は終了。
右の写真は、私達がストラトフォード・アポン・エイボンで滞在したB&B。ウッドストック・ハウスという名の、5室ほどの小さな宿だが、人気の宿らしい。ここのフル・イングリッシュブレックファーストがイギリス滞在の2週間のうち、最高だった。紅茶のおいしさ、目玉焼きの焼き具合、厳選されたベーコンとマッシュルーム。シリアルも何種類か。望めばコーヒーもけっこういいにおいがしていた。私は紅茶のおいしさに感動して、コーヒーは全然飲まなかった。
Woodstock Guesthouseのジャッキーとデニス。大きなホテルのシェフとウエイトレスとして出会った二人は、いつの日にか二人で小さなB&Bを持つことを夢見て頑張って来たらしい。5年ほど前にこのホテルを買って、自分たちの思うようなサービスをしているとのこと。頑張ってね。おいしかったよ。ありがとう。

30 Grove Road
Stratford-upon-Avon
Warwickshire CV37 6PB

見て頂いて、有難うございました。
来月は、主人がオックスフォードの事を書いてくれるそうです。お楽しみに。
       

お付き合いありがとうございました。
また来月お越しください。


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