#191
平成28年2月


故・富岡行昌先生
1923-2015
このページは女将が毎月更新して
唐津のお土産話やとりとめもない
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東風吹くころに
       ~富岡行昌先生を偲んで~


 みなさん、こんにちは。
梅の花の馥る2月です。洋々閣の中庭の老梅は白梅です。いつか紅梅も植えたいなと思っています。
梅というと太宰府の梅を思います。30年前に行ったっきりで、もう長いこと見ていません。”こちふかば匂い起こせよ梅の花・・・”と一人で思い起こしています。
 
 今月は、昨年11月に92歳で亡くなられた郷土史家の富岡行昌先生を偲んで、先生が著された唐津の民話「かんねばなし」より太宰府が登場するはなしを引き写します。富岡先生は永く松浦史談会の会長や松浦党研究会の事務局長などをされ、また唐津市の図書館長もなさった郷土史研究の中心的なお人でいらっしゃいました。唐津のかんねどんをこよなく愛されました。先生の温顔をもう目にすることができないことはさびしい限りです。歴史をいろいろ教えていただきました。ありがとうございました。ご冥福を祈ります。

 なお、「かんねどん」という人物は唐津の裏町にすんでいたと伝わるとんちのある男で、大分の「きっちょむさん」や熊本の「彦一さん」と同じように民衆に愛された庶民のいわばアイドルであり、寺の和尚、神主、大家の旦那などを大ぼらを吹いてとんちでやっつける人気者なのです。伝わる話はたくさんあるようで、富岡先生は丁寧に収集しておられました。
 今日はそのうちの一つをお読みください。唐津弁で語られることが「かんねばなし」の必須条件だと思いますので、それも合わせてお楽しみください。



“そりゃ、うそじゃ”

 今日は、勘右衛(かんね)どんが、龍源寺の和尚さまば、やり込めらした話ば、しゅうだい。
 
唐津市のゆるきゃら
かんねどん
 かんねの旦那寺は龍源寺という大きなお寺でした。この寺は大石村の小高い山の上にあり、昔、太閤様が名護屋城に来た時には、名護屋にありましたが、唐津城が出来た頃、今の所に移って来た、唐津でも古くて位の高い寺でした。
 この寺の和尚様は評判が良く、かんねをよく可愛がりますので、よく遊びに行っておりました。また和尚様も、かんねの話が面白いので、話を聞くため、よくかんねを呼んでおりました。


 しかし、かんねの話は、たいていの時はうそが多いので、かんねの話の途中で
「そりゃ、うそじゃ」
と横やりを入れるので、かんねは
「本当の話をしても『そりゃ、うそじゃ』とおっしゃるから、話しとうなか」
と文句を言いました。せっかくかんねを呼んでも、面白い話をしてくれなければ、呼んだかいがありませんので、和尚様はかんねの機嫌を直すように
「今日は話が終るまで『そりゃ、うそじゃ』とは絶対に言わん。ここに一両置いとく。もし、約束を破ったらこれをやろう」
と約束をしました。これで機嫌を直したかんねは話を始めました。
「俺は去年の二月、太宰府詣りに行きました。丁度梅の花が満開で、それは見事なものでした。また、梅の香りは大鳥居の処まで匂って、そりゃ、よか見物でした」
 
 太宰府天満宮の梅

と一息入れますと
「そりゃ、そうじゃろう。九州一の梅の花じゃ、遠くまで匂うじゃろうな」
と、和尚様は合槌を入れて話に乗って来ます。
「太宰府の門は古いという話でしたが、丁度塗り替えたばかりでしたから、ピカピカ光っていました。あまり見事に光るものですから、顔を近づけてみると、鏡のように顔が写りました」
と、かんねはだんだんホラを吹き始めました。和尚様は、またかんねがホラを吹き始めたなと思われましたが、約束ですから
「そりゃ、そうじゃろう。九州一立派な天満宮だからな」
と合槌をうちました。
「そこで俺も金持ちになれるようにと奮発して、一両の大金をおさい銭にあげて詣りました。そうしたら、神主様が奇特なことだと言うて御神酒を下された」
と、だんだんホラが大きくなりました。和尚様は
「かんねの奴、一文も余分な銭は持たんくせに、うそを言うている」
と思い
「そりゃ、うそじゃ」
と口先まで出かかりましたが、それを言ったら大変ですから
「うん、そりゃ、よかことばしたな」
と、ほめました。そこでかんねは
「俺が一両もおさい銭を出すはずがないことは、和尚さまは見通しのくせに、和尚様も俺の口車には乗って下さらん。そんなら、もっと大嘘ば言うちみんこて」
と、また話を続けます。


 
 太宰府天満宮の太鼓橋
「それから、太鼓橋の処に引き返して来たときです。『下にぃ、下にぃ』の声が聞こえて来ました。こりゃ、偉か人のお通りに違いなかと、道の端に座って待っておりますと、博多の黒田の殿様の御行列でした。
 何しろ52万石の殿様ですから、唐津の6万石とは比べものにならぬほど立派な行列でした。
 行列が止まって殿様が駕籠から出られましたが、その着物の綺麗なことと言ったら、目がまぶしくて、開けとけんほどでした」
と、べらべらしゃべります。ですから、かんねの口車に乗らんようにと、用心しておられた和尚様も、その話につられて
「そりゃ、そうじゃろう」
と感心しました。
「それから殿様は、草履をおはきになりましたが、その時です。楠の木の上に止まっていた鳥が糞をたれ、それが運悪く殿様の着物にかかりました。そうしたら、殿様が『着物を替えろ』と仰せられました。すると家来が『へい、只今』と言ってすぐに着替えの着物を持って来ました。その早いことと言ったら、びっくりしました」
「そりゃ、そうだろう。黒田の殿様なら、それぐらいのことは、すぐ出来られるじゃろう」
と和尚様はさほど驚きもしません。
「そこで、後はどうなるだろうと見ておりました。殿様は太鼓橋の方へ歩きかけられました。そしたら、また鳥が糞をして、今度は殿様の頭の上に落ちました」
と、かんねが話します。すると和尚様は別に驚きもせず
「そういうことも、時にはあろうな」
と合槌をうちます。かんねは、こう、嘘とわかっていることを言っても、和尚様は『そりゃ、うそじゃ』と言ってくれないものだから、疲れてしまいました。しかし、ここで話を止めてしまったら負けになりますので、もうひと踏ん張りと思って
「そうしたら、殿様は怒られて『無礼者!!』と叱られました」
と話を続けました。


「そりゃ、そうじゃろう。いくら何でも、頭の上に糞をかけられては、怒るに決まっとる」
と、また合槌をうちます。そこでかんねは
「そして、殿様は大声で『頭を取り換えろ』とおっしゃいました。すると家来が『承知しました』と言って刀で殿様の首をバッサリと切り落とし、用意していた殿様の首を代わりにつけました。そうしたら、ビックリしましたよ。殿様は若殿様に代わられました」
と、出まかせも、出まかせの話をします。ですから、初めのうちは用心していた和尚様も、いつの
 
  龍源寺 唐津市東十人町
まにか約束を忘れてしまい
「そりゃ、うそじゃ。首のすげかえは出来んぞ」
と、つい言ってしまいました。すると、かんねは聞こえぬふりをして
「和尚様、今何と言いました。もういっぺん言って下され」
と念を押しました。
「そりゃ、嘘だと言うた。いくら何でも、お前の話には嘘が多過ぎる」
と和尚様はかんねをたしなめるように言いました。するとかんねは
「そんなら、約束の一両は貰います」
と目の前に置いてあった一両を取り上げました。ついに、かんねの口車に乗せられてしまった和尚様は
「しまった。また、かんねにやられてしまった」
と言って、頭を両手で叩き、くやしがりました。
         今日の話は、ここまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)
 


 いかがでしたか?かんねどんの話をもっとお知りになりたいかたはどうぞ富岡先生のご本をお求めください。
かんねどんの話によく出てくる「おさん」という女狐が私は大好きです。かんねどんとだましあいをして、いい勝負です。私はおさん狐の生まれ変わりじゃないかと自分で思っていますが、ある和尚さまにそう言ったら、「お前さんはきつねではのうて、タヌキじゃな」と言われてしまいました。トホホ。
 では皆様、温かくなるまで炬燵にもぐってゆっくりお過ごしくださいませ。来月お目にかかりましょう。



 


    今月もこのページを訪れてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。

                             洋々閣 女将    大河内はるみ
                               mail to: info@yoyokaku.com