#210 平成29年9月


趣味のハワイアン演奏中の岩崎氏
このページは女将が毎月更新して
唐津のお土産話やとりとめもない
おしゃべりをさせていただくページです。
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 船

             山之口 貘
 文明諸君
 地球ののっかる
 船をひとつ
 なんとか発明出来ないことはないだろうか
 すったもんだのこの世の中から
 地球をどこかへ
 さらって行きたいじゃないか


 みなさん、今月は、すてきなおじさまをご紹介します。ひょんなことから知りあって、厚かましさが売り物の私はさっそく取りすがって原稿を依頼したってわけです。
趣味で船の模型をつくっておられる岩崎慶次さんです。唐津市にお住まいです。ご紹介は本文の中でご自分を語っておられますから省略しますが、たくさんの資料をいただきました。一目了然に整理してあって、いつもごちゃごちゃと暮らしているわたしには驚きと尊敬と・・・。では、夏の余韻をモデルシップでお楽しみください。




       
 

私の模型製作趣味について          岩崎慶次

 私の信条は「人と人との出会いを大切に!!」である。それは私の人生で出会いが重要な要点になったからに他ならない。

 最初は中学2年生の時に、同級生・井上俊一君(現・”染のいのうえ”代表者)との出会いから始まる。

昼休み、彼がナイフで木材を削って飛行機を作り出した。今で言う「ソリッドモデル」である。お世辞にも良い作品とは言えなかったが、私にはカルチャーショックであった。

 その後、高校に進学して「航空フアン」等の雑誌を読むようになり、ソリッドモデルの専門誌「ソリッドモデルの作り方」野沢 正著・昭和31年2月5日、4版発行を購入する。高校のクラブ活動は生物部に入部する。生物に興味がある訳ではないが、1年上の先輩が、中学時代の天文部の部長だった為に、彼の勧めで入部した。2年に進学して、新入部員として入部して来たのが、私の人生の大半を送る事になった吉田鉄工所(現・ワイビーエム)の長男の吉田勝巳君である。彼は昆虫に興味が有り本当の生物部員として活躍するが、1方では飛行機模型製作にも興味が有り私と共通の趣味を持っていた。

私が3年生となった時に2年生の吉田君と期限1年間の約束で旅客機のソリッドモデルを作る約束をする。彼はパンナムのロッキード・コンステレーションで私は日本航空のダグラスDC-6Bであつた。1年後二人は見事な作品を完成させる事に。 

 やがて就職を考えての大学選びである。飛行機か船に興味のある仕事に進みたいが、頭の悪い自分には、九大等には行けるはずが無く、あることから、長崎造船短期大学の事を知り、推薦入学で合格した。 

 3年間の短大時代の最後の年に、学校が網場に移転した時に2人の同期生と同じ下宿で、就職先も大阪の佐野安ドックに入る事になる。この辺も縁であろう。私は船体構造の設計つまり船殻設計課の勤務となる。その間に船首、船尾、外板展開等の船の構造の設計を描ける様になっていた。

 一方、高校時代の後輩の吉田勝巳君は大阪工業大学の機械科で勉学中。二人は時々、西成区の安いホルモン焼き屋でホルモンとビールで夕食をとる事も。

 造船所で4年を過ぎた頃に故郷の両親が共に病気に係り入院した。3男の弟は高校3年生の1人生活となる。両親の願いには迷ったが、弟1人生活は、無理と考え、唐津に帰ることを検討。その時に、後輩の吉田君は自営業の鉄工所で専務取締役であつた。彼に唐津での就職先を相談したところ、「私の会社に来い!!」と言ってくれた。高校のクラブの先生に相談すると、「友人の会社では往往にして、意見が合わなくなって、決別する事もある。良く考える様に」と。

考えた上で吉田鉄工所に入社する事に。昭和41年7月の事である。この時、社員は約30数名であったが、吉田君のこの時の言葉が無かったら今の人生は無かったのである。

 2年目には工場は松南町に新築移転し、私は工場長となり、設計も兼務していた。その当時は、社会が地すべり地帯の防災、ダムの建設、列島改造等の公共工事の全盛時代で、ボーリングマシン、機材は必要とされていた。社員はこの時130名台に増員していた。

 1973年(昭和48年)本社工場が原の唐津鉄工団地に完成して益々の勢いであつた。1979年から1981年に掛けては、海外物件も出て来た。インドネシア、西アフリカ等にも出張する事も出てきた。

 1982年製造部長の私に、社長の吉田勝之助氏より東京市場の開拓を命ぜられ、12月に蒲田宿舎所兼事務所の出発から、新橋事務所、芝大門と移転して行くのであるが、大変残念な事に、1986年3月に2代目社長の吉田勝之助氏が心筋梗塞で46歳の若さで他界した事である。

 
 クイーンエリザベスⅡ

 1988年東京支店は東京支社となり、初代支社長となった私は、その2年後の1990年には、東北地方の営業開拓の為に仙台に赴任する事に。1991年に一段落した時に休日の時間を過ごすために久方振りに模型船の製作を再開した。スタープリンセス、クイーンエリザベスⅡの2隻を、なんとか製作。

 2年後は現地スタッフに仙台は任せて、再び東京勤務となり、新規部門の営業や若い社員の教育等で2009年7月まで東京に居る事に。その間に、「ふじ丸」「にっぽん丸」観測船「昭洋」「拓洋」、「飛鳥」「飛鳥Ⅱ」等の客船を製作しては、お世話になった人に渡したり、記念に渡したりしてきた。又、会社の製品の模型、縮尺:1/4-8を展示会用に製作したりして来た。

 会社の製品の模型

模型は全て「手作り」が原則の考えは最初から同じです。船舶で言えば、どうしても無理な部分、例えば、縮尺が1/100以上の、テスリ、ボラード、スクリュー等は専門店で購入の方法を取り、後は出来る限り手で作る事。

 2009年8月から2010年3月まで年も69歳となった時点で(株)ワイビーエムを退職して今日に。お陰様で、いろいろの職場や、国内出張、海外出張等の経験と大勢の方との出会いを経験しました。感謝しています。

 

 

 

 今までの船舶模型の作品で特記すべき事
1) ソリッドモデル(船の模型)を作りましょう!!
  2010年の3月、(株)ワイビーエムを退職する前に子供たちが
  船の模型を作るのに参考になればと、「氷川丸」が完成するまでの手順を伝えたく、資料の収集から完成までの一連の記事と写真を使って1枚の紙に記入したものです。

 
 


2)
 
 巡視船「まつうら」の寄贈
2011年7月17日「海のカーニバルIN唐津」で 巡視船「まつうら」縮尺:1/140の模型を唐津海上保安部に寄贈する。保安部・伊藤裕康部長より返礼として記念の帽子を受領する。
  これは2010年11月7日「まつうら」の就役披露式に招待受けて乗船見学した時の写真を元に製作したものである。
















3) 2012年1月22日「虹と海のホスピタル」の新築祝いとして南極観測船「宗谷」を寄贈する。ロビーに展示中。 
 
 南極観測船「宗谷」の寄贈
 これは、中学、高校時代の親友である進藤龍一理事長への祝いとして6ヶ月の時間をかけて製作したもので、縮尺:1/100で模型全長約840mmと私の作品の最大の模型です。病院に相応しい船で「数奇の運命をたどった船」として今も語られています。
















4) 2014年10月4日「ボルトン・キャッスル号」
  「ボルトン・キャッスル号唐津寄港100周年を祝う会」の発起人の1人である、クラブの後輩で市会議員からの依頼で有ったので受けた
 
 ボルトンキャッスル号
作品。約4ヶ月で完成させたが、資料が当時の写真2枚だけと言う、 とんでもない依頼であつたが、学生時代に購入していた「船の常識」と三菱造船所時代の「商船建造の歩み」の2冊で、作り上げた。動力が蒸気機関の為にその構造を再現するのに大変であった。

*イギリスの貨物船ボルトン・キャッスル号は1914年に作られ就航直後にパナマ運河が開通した時、日本に寄港した第一船として唐津に入った。石炭積み出し港であったためと、アジアの港への距離の近さであろう。この船はのちに売られてフィデリタスと名を変えたが、第二次世界大戦中にドイツに奪われ、ドイツ軍の護衛艦として航行中にイギリス軍の爆撃を受け、北極海に沈んだ悲劇の船である。














5) 2015年2-3月「唐津ひいな遊び」の小笠原藩の和船「髙寿丸」
  クラブの後輩・松下 麗君から依頼で、初めての和船であったが、幸い
 
 和船「高寿丸」
に船大工が使用していた、絵図面の平面図、側面図があった。それと、船の科学館発行の「日本の船」・和船編が役立った。4ヶ月かかる。
  3畳の畳敷きの部屋には、床の間が有り、刀と花を飾り、襖障子とした。
  和船はパテ、下塗り塗装が使えないので誤魔化しが出来ずに困った。













6) 2018年3月完成予定の巡視船「まつうら」縮尺:1/50、
  模型全長=1,200mmとこれまでの作品「宗谷」840mmを大幅
  に上回った大作である。
   
 
巡視船「まつうら」制作中
これは、唐津海上保安部が来年3月完成の新築移転先「唐津港合同庁舎」のロビーにお祝いとして飾って頂く為に準備しているもので、寄贈者は「からつ夢バンク」で、制作者は私「岩崎 慶次」(からつ夢バンク正会員)、 電気配線指導は「(株)ワイビーエム技術開発部」である。
  船体のケース外から、航海灯、停泊灯、パトライト、となんと主機エンジン音までもが、操作出来るような、操舵室のイメージ模型が付いているのだ。社会見学に来た子供達の喜ぶ姿が励みになりそう!!










7) 年代ごとの名刺について
  2010年より浪人となり、個人の名刺が必要となった。そこで、元の会社の名刺を作成しているYシステムに依頼する。2010年は「氷川丸」2011年は「おがさわら丸」2012年は「宗谷」と言う順序に年々に制作する作品を名刺に利用して、今年で8隻の名刺となる。

 
 

  私の将来の希望につぃて
1) 私の自宅に嫁入り前の客船たち「初代飛鳥」「飛鳥Ⅱ」「にっぽん丸」「ぱしふぃっく・びいなす」縮尺は全て1/350の4隻がいます。唐津の港に寄港した船たちです。この4隻と旧唐津銀行の2Fに展示してある、「ボルトン・キャッスル号」を1部屋に、ジオラマ形式に展示できれば、何時でも、寄贈する気でおります。それも私の元気な内に希望しています。
2)将来、手で物を作る作業は続くのでしょうか?
 今の時代の様に、小刀で物を削る事が出来ない人が増えれば、よっぽどの道具の改良が成されない限り私たちの様な手作業をする人が居なくなる様な気がします。 



  
 「東風会展」と私の模型製作趣味
「東風会展」について
* 唐津東高等学校の第3回卒業生(昭和34年卒)による趣味の展示会である。
高校時代、美術部の部員が発案して絵画、陶芸、ペーパークラフトの趣味のある人に声を掛けて第1回は2008年(平成20年)6月6日(金)―8日(日)唐津近代図書館4Fギャラリーで11名のメンバーで始まった。
この会の特徴は初日の夜は高校時代の同期会が行われる事だ。当然、この展示会を見学して同期会へ合流する手はずである。
* 第2回は書道や竹工芸の2名が加わり13名のメンバーにて2009年(平成21年)6月5日(金)―7日(日)に同じく唐津近代図書館で行われ、見学者も一段と増してくる。

 
 2010年東風会
* 第3回は更に私の船舶工芸や書道も1名加わり15名のメンバーと増員のもとに、2010年6月4日(金)―6日(日)に同じ唐津近代図書館で行われて、更に見学者も増加して来た。

* 第4回は、3回と同じメンバーであるが、場所を本町の旧唐津銀行ギャラリーに変更となる。唐津近代図書館は使用料が無料で助かるが、4Fの隣室が自習をする人に騒音で迷惑を掛ける問題があつた。さて今回から1日9、000円の出費が掛かり会員の負担は来客者が多く来てくれる事に期待する。
開催日は2011年6月11日(土)―12日(日)の二日間とした。






 2012年東風会



* 第5回は4回のメンバーで2012年6月7日(木)―9日(土)旧唐津銀行ギャラリーで見学者 も、場所が定着して回復して来た。


* 第6回は2013年6月7日(金)―9日(日)旧唐津銀行で行ったが、残念な事に、竹工芸の宮島 伝君が他界して参加できなかった事だ。この時は早稲田佐賀中高校の中学生が大勢来てくれたのは嬉しかった。



 
 2013年東風会





* 第7回は2014年6月6日(金)―8日(日)旧唐津銀行で行われた。


* 第8回から私が会の会長となった。場所は同じ旧唐津銀行ギャラリー。
2015年6月19日(金)―21日(日)同期会の都合でこの日になったが当然、梅雨の最中で雨の為に見学者は激減する。


*第9回は2016年6月3日(金)―5日(日)で同じ旧唐津銀行ギャラリ
 ーで行った。


* 第10回は節目の記念すべく会であり、場所は同じ旧唐津銀行ギャラリーで
、2017年6月2日(金)―4日(日)開催する。2日は特別講演会として同期生の田中興人君が「刀の話」を1時間半に渡り話してくれて、大変好評だった。良き友を持ったものである。

会員は油彩・水彩(明石七瀬・生方辰秀・大塚泰輝・笹沼順子・田川弘子・田中常夫・中村紀佐子・村岡喜美子・米倉博幸)、ペーパースクリーン(増本一紀)、書(上田幸一・渡辺まさ子)、陶芸(荒金 進・北島節子)、船舶模型(岩崎慶次) 以上15名。
 又、発起人の一人の大塚泰輝君(「寝装の大塚グループ」の会長)は、私の“人生での出会い”の一人でもある。

 この様に「東風会展」はお陰で10回と続いた。これは、今まで支えてくれた同期会のメンバーとお客さま達の暖かい支援に他ならない。あり難いと思う。さてこれからだが、メンバー(会員)は今年は「喜寿」の77才の高齢となった。「東風会展」が有るので、毎年頑張って来た事も事実だが、今後更に作品作りが出来るか、どうするか?は反省会で結論づける。 よ~そろ!
 
 東風会展案内はがき
 


みなさん、いかがでしたか?
喜寿の岩崎慶次さん、素敵な人生ですよね。威風堂々の体格に柔軟な発想と、緻密な計画力、粘り強い実行力。他への愛情にもあふれた、これぞ、九州男児!作られた船の実物も拝見しました。へ~、と驚くばかり。細かくて、力強くて、なにより美しいのです。
わたくし、フネとつくものはなんでもすきです。ノアの方舟、宇宙戦艦ヤマト、笹船も折り紙の船も。サザエさんのお母さんも大好き。では、ボンボヤージ!
 

今月もこのページを訪れてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。
                             
洋々閣 女将 大河内はるみ

 

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