#51
平成16年6月


このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
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#1 御挨拶









転んでもただでは起きない
―骨折しちゃったの巻―







みなさま〜、おなつかしや〜。
お元気でしょうね。
わたくしは、実は、入院しているのです。
今回は、聞くも涙、語るも涙の骨折物語をお読みください。







 時は平成16年ゴールデンウイークの5月3日。すでに忙しい日が5日ほど続いて疲れも少々出てきたころの、昼下がり。雨が降っていました。だいたい5月の連休に雨が降るとはけしからん。「五月晴れ」という言葉を天は忘れたのかい?

 前夜の宿泊客のチェックアウトも済み、今日の段取りもほぼ終えて、各部屋を見回っていたとき、「十坊の間」の縁側から見えるつわぶきの枯葉が気になりました。ひとに言いつけるほどのことでもなく、つわぶきの枯葉はひっぱればずるっと抜けますから、自分で取ろうと、サンダルをつっかけて庭に出ました。10枚ほど抜けばすっきりしたので、見回すと、隣の「烏帽子の間」の前のも気になり、これも10枚ほど抜いてOK。先ほどの枯葉と合わせて両手で胸の前に抱えて帰り始めたとき、足元が見えなくなっていたため、濡れた斜面に踏み込んでしまい、アッと思った瞬間に身体は宙に浮き、ねじった左脚の上にガシャッと落ちました。
 「わ、転んでしもた」と、起き上がろうとしたら、左のすねあたりで、グシャグシャと何かが動く感触。「ありゃ」と見ると、ひざ下10センチくらいのところで脚が内側に少し曲がっているではないですか。「はは〜ん、さては骨折したな」と、今までには一度の経験もないながら確信しましたですよ。

 その瞬間頭をかすめた思いは、「お客さんでなくてよかった〜」ということ。お客様がうちの庭で骨折なさったことはいまだかって一度もないけれど、これからは雨あがりなどには庭のお散歩はお止めしたほうがいいですね。
 さて、雨にぬれていつまでも庭に寝ているわけにもいかない。助けを呼ばなければ。ベルカント唱法腹式呼吸のソプラノで叫べば声が届くだろうけど、あいにく私の声はバアサンボイス。なかなか聞こえてくれない。5分くらい呼び続けて息がまさに絶えなんとする時、やっとフロントの女の子が走って出てきた。「おかみさん、どうしたんですか」と抱え起こそうとするから、「だめだめ、動かしたら折れた骨で中が傷つく。救急車を呼んで。それと、保利先生に電話して、お休みの日にすみませんが、と頼んで頂戴」。 保利先生には4、5年前に右脚の静脈炎の手術をしていただいたり、膝関節変型症を診ていただいたりしているのでおなじみでありまして、私の100万ドルの脚を熟知しておられるわけです。

 救急車が到着して、2人の救急隊員が担架に私を乗せて運ぼうとしたら、なかなか持ち上がらない。どういうわけか知らないけど、ハアハア言って、「だれかこちらの旅館のかたも手を貸してください」という。4人がかりで運ばれて、救急車に乗りました。
 ピーポー、ピーポーは辞退したいものだけど、規則なのか、盛大に鳴らしながら走る。お客様に付き添って救急車に乗ったことは何度もあるけど、自分が担架にのって運ばれたのは初めて。案外ゴツゴツ揺れるんだな、とか、救急車の中ではドップラー現象は聞こえないのだな、とか、考察するうちに7、8分で到着。せっかく救急救命士が乗っておられたのに、人工呼吸も心臓の電気ショックもなし。もったいなかったなあ。
 
 保利先生は見るなり、「こりゃ折れとるな」と。レントゲンを取られ、左下肢のケイ骨、ヒ骨、くるぶしと3箇所がギザギザに折れていると。”整復”という作業でレントゲンのテレビで確かめながら脚をひねったり、ひっぱったりされる。「ア、痛た〜、センセ、痛いよ〜」と痛くないほうの右脚で先生をけとばそうとするが看護師さんが必死に抑えこむ。ギブスというものは固まるときには熱いものですね。知らんかった。太ももから足まで先だけ出してぐるぐる巻きにされて巨大な左脚が出来上がりました。膝を優雅に曲げて石膏で固められた左脚だけを見れば、少々太めの、ミロのヴィーナス。

 先生は、「若い人なら固定だけで骨がつくが、その年ではまず無理ですな」とにべもない。「手術しましょう。連休明けには予定がつまってるので、来週になるかな」 エ〜ッ、あと1週間もある・・・早いほうが・・・ 「ああ、忙しいんだね、じゃ、8日の土曜日の午後になんとかオペを入れよう」といっていただきました。「先生、それまでは家に帰っていてもいいですか」 「帰る?フーン、帰るか。まあ、よかろう。ただし心臓より脚を高くしとかんと腫れて痛いぞ。ギブスの中で脚がしびれて足先が紫色になったらギブスを割らにゃならんから、夜中でもいいからすぐ来なさい。オーイ、松葉杖を持ってきてやりなさい」 ギブスの脚でコットン、コットンと歩いて帰るつもりだった私、松葉杖と聞いてびっくり。練習して見たら、なんともむつかしいものですね。左のヴィーナスが重くてバランスがとれず、上体が左にかしぎ、右の松葉杖の先が逃げてひっ
脚を心臓より高く上げる?
くりかえりそうになる。第一、私の身体の、重いこと、重いこと。片脚で立ち、両腕で支えるには、この細腕の腕力を鍛えていなかった・・・。それに脚を心臓より高く上げる、ということは、バレリーナのように右のつま先で立ち、左脚を頭の横まで上げることかいな、と思うと、自信がない。トウシューズも持ってないしねえ・・・ 「・・・先生、やっぱり入院させていただきます」 「それがいい」、ということでめでたく唐津市南城内の城内病院に入院したのでありました。ヤレヤレ。

 これまで1日3食をきっちり時間になったら食べる、ということに慣れていないので、食欲がわかない。家庭的な料理で結構おいしいのだけど、わがままな食生活をしてきた罰か、食べられない。うどん食べたい、とか、ピザ食べたいとか・・・。密かなる渇望。おおいなる幻影。ああ、ギョウザ食べたい、しば漬け食べたい。

 5月8日の手術は2時間弱で無事済み、腰椎麻酔だったので先生方のやりとりを全部聞いていたが、テレビの『ER・緊急救命室』とちがって結構のどかにやっておられて、これなら遺言状も書かなくてよかったかも。あ、そうか、書くの忘れていたんだっけ。

 それでも手術後3日は点滴や痛み止め薬やらで、ぐうぐう眠ってばかりいた。眠いのなんの。いびきをかいてねているのが自分でも半分わかっているという変な睡眠。すねに傷持つ身のギブスは、20センチほどの縫合の傷にガーゼをふとんのように厚くかぶせ、その上にふたたび石膏包帯で固めてあるので、今度の形はヴィーナスではなく、そこだけこぶが盛り上がった砂漠のラクダ。翌朝そのコブの部分を回転する電気カッターで楕円形に切り、付け替え用の窓を開けられた。そのときの恐怖感!キーン。白い粉がとぶ。ああ、助けて・・・。脚は切り落とされずに、ギブスに窓が開いた。ガーゼ交換。チラッと見ると、気持ち悪い大きな傷。「ほう、きれいだ」と、先生。先生の審美眼を疑っちゃうね。「これのどこがきれいなんですか?」とつい口走ると、「これがきれいでなくてどんな傷がきれいだ」 「ハア、すみません」。 ああ、それにつけても、うなぎ食べたい。

 4日目からはベッドサイドへ右脚で降りて、歩行器につかまってトイレへ行ける。自分でトイレへ行けることがこんなにもありがたいことなのか。ただ10分も脚を下げているとギブスのなかで腫れてくるので、すぐにベッドに上がってクッションに乗せて左脚を上げなければいけない。足先をよく動かすようにといわれるので、テレビの音楽に合わせて足指体操をする。腫れて丸まって新じゃがみたいにカワユイ。ネイルアートでもできたらいいけど、硬くなった身体では自分の足先に手がとどかない。なさけない。それにつけても、フライドポテト食べたいよ。

 1週間過ぎたあたりから車イスを借りてうろうろ病院内を探検する。自分の部屋の窓から見える唐津の町並みにどうも
病院から北東を見る
納得がいかない。市役所の東側面が目の前にみえるが、私の頭の中の地図とは合わない。私の地図では、この病院からは市役所の北側(裏側)が見えにゃならんはず。市役所の向こうに見えるホテルとお寺の大屋根も、角度がちがう。見えないはずの済生会病院まで見える。さては、空間のねじれの中に落ち込んだかな。日当たりのいいデイルームへ行ってみると、北側の家並みの向こうに、高島と鳥島の頭、北東には唐津城がみえ、その向こうに浮岳が浮かんでいる。お城のかげになる方角が虹の松原で、その手前が「うち」だと眺めて涙がホロリ、ホロホロリ。(うそ) それにつけても「唐津バーガー」食べたい。おいしいんだから。虹の松原の中にあるよ。並んで買うんだよ。

 仕事のことが気になるけど、どうしようもない。自分で歩けないのだから忙しい日に帰ったりすると、かえって手を取る。なるべく考えないようにするほかはない。メールがたくさん来ているようだけど、フロントの子に返事させることにする。今まで必ず自分で返事していたので、なんだかイライラする。私がお返事できなかったかた、ごめんなさい。お客様で、「洋々閣の美人女将に会いたい」と思っておられたかた、ごめんなさい。行き届かないことが多いでしょう、ホントにごめんなさい。

 10日過ぎたあたりから、少し仕事を持ってきてもらって、ベッドに起き上がってやれるようになった。「そうだ、ノートパソコンを買おう」と思いつく。さっそく最初から付き合いのあるプロバイダーさんに連絡を取ってもらう。4、5日してパソコンが到着。接続ができないので(病院内はPHSなどは禁止のため)、ホームページ作成のための入力だけをやる。6月号を書かなければいけないが、悲しいかな、取材、調査、資料集めに出られない。で、今回のこのページ「転んでもただでは起きない」を書くことにしたのであります。

 5月24日からリハビリに行く。もちろんまだ怪我した脚のリハビリではなく、松葉杖で行動するための訓練。最初は2本の平行棒の間を両手で体重を支えて右脚だけで歩く。「なかなか上手」と、おだてられる。これならアテネオリンピックに体操選手で出られるかも。たった5分で腕はこわるし、背中も痛いけど、とにかく月末の2、3日は何時間かずつでも帰宅しなくちゃ給料が計算できない。がんばるのだ!全従業員の命がかかっているのだ!ホームページだって、意地でも更新するのだ!ファイト、ファイト、はるみ! ああ、それにつけても、お寿司食べたい。

 夕方6時、市役所のチャイムが「夕焼け小焼け」を奏でる。感激する。市役所にでなく、姿は見えねどメロデイーに合わせて「ウー、オン、ウー」と歌う犬に。「ブラボー、クロ!」と叫んで、食べかけのお茶碗でカネ3つたたく。どんな犬か知らないが、きっと黒犬のような気がする。声がゴスペルっぽい。退院したら、クロを探しに言って面会しよう。唐津バーガーを土産に持って行こう。 

バラを100万本もらった気がする
 夕暮れになると正面に見える低い山(もしかしたら、おんじゃく山?)に陽が沈む。夕焼け小焼けになった日もあった。不思議な赤紫の夕焼けだった。そのあと、鎌のように細く、オレンジ色の不思議な三日月を見た。(5月23日) 暗くなるとひとつだけくっきり明るい星がでる。金星だろうか。ここにも、ヴィーナス。私がいない夜を、ぼけた母がどうしているかと思うと涙が出る。(これはほんとう) 姉が母のそばにいてくれるのだから、と自分に言い聞かせて、眠りにつく。

 それにしても、見舞いに来てくださるかたがたは異口同音に「天からさずかった休暇だと思え」とおっしゃる。100%の確率で。だんだん、自分でもそう思えてきた。そうか、天から授かったのか。ドーンと長い有給休暇をもらったのか。その間何にもしないのも、いかにももったいない。転んでもただでは起きない主義である。なにか掴まなきゃ。4、5日考えて、ひらめきましたぞ。寝ていてできること。「ダイエットとエステ」。私の骨折の原因をひとに尋ねられて、主人は「転んだから」とは答えずに、「肥えすぎです」と言ったとか。なんという言い草!ヒトデナシ!こうなれば、1キロでも300グラムでも、ダイエットするんだから。幸か不幸か、誰も唐津バーガーを買ってきてくれないし。今3週間目でたぶん1キロぐらい落ちたかな? エステのほうは、姉にたのんで、大枚7000円も出して、美顔マスクを買ってきてもらった。5000円の美白クリームも買ったんだからね。こんな贅沢していいんかな・・・。消灯後の闇の中に白い脚と白いマスクが浮かび上がる。ホッ、ホッ、ホッ、退院のころは、顔までミロのヴィーナスだからね。見ててごらんな。

 誰ですか〜、「骨折り損のくたびれ儲けだろう」と言ったのは〜。イジワル〜。




 こういうわけで、まったくもって悲しい今月号になりました。涙ながらに読んでいただいたご友情に感謝します。あなたさまもどうぞ年寄りの冷や水にはくれぐれもお気をつけて。お大事に。

                           402号室にて  5月30日記

まだまだ退院できそうにありませんが、7月号もなんとか書くつもりです。
ご迷惑でなかったら、またよろしく。


今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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