#59
平成17年
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このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶





玄海淡雪 樋口勝彦画


つらつら椿
―玄海の幻の椿―

巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思はな巨勢の春野を
坂門人足 (さかとのひとたり)   (万葉集・巻1−54)




 私は、椿と紫陽花が花のなかで一番好きです。寒い時期はいろんな椿を次々にかざって、夏場は紫陽花をドライフラワーになるまで挿し続けます。椿の中では、紅の藪椿が一番好き。時々はあれこれ珍しい椿に歓声を上げますが、最後はやっぱり、ヤブにつきますねえ。

 そのヤブ椿が突然変異で珍しい紅白になったのが、世界の名花とたたえられる、長崎県五島の「玉之浦」です。今月の19、20日に五島市で第15回全国椿サミットが行われます。私は日本ツバキ協会玄海支部の会員ですので、案内状をいただいて、「あ〜、行きたい、行きたい」、と毎日騒いでいますが、去年五月に骨折した脚の金具を抜く手術のため再入
  母譲りの好きな帯留め
院している日取りになりますので、とても無理なのです。「つらつらツバキ、つらつらに・・・」などと未練がましい独り言を言っております。
 そこで、このページを椿のページにして気を晴らすことにしました。お付き合いください。申しあげておきますが、私は椿に詳しいわけではありません。育て方、とか、品種の見方、とか、聞かないでくださいね。ただ、「とっても好き」というだけです。ツバキ協会玄海支部に入りたいかたは、ご連絡ください。

 以下に転載しますのは、玄海支部の顧問で、現在九州電力玄海原子力発電所の所長をなさっている樋口勝彦氏が、7〜8年前に広報誌に発表なさった原稿ですが、お許しを得て皆様にお見せします。玄海町(佐賀県)で見つかった原生種の白椿のことです。お楽しみくださいませ。

    


 
樋口勝彦氏
原生椿 淡雪(あわゆき)のこと
                              樋口勝彦

 それは二十年程前、玄海一号機の頃に遡る。港発電所より来られた北田さんの指導で、玄海にも園芸部が発足した。松の実生に始まって欅の仕立て、蘭の増し方等を教わっているうちに、ふと北田さんが発見された原生白椿の事に話が及ぶ。大切にされていた挿木を一本頂き鉢で育てていたところ、二年程でその花を見る。当時は何の知識もなかったが、今にして思うと花形は一重の抱(かか)え咲きで、咲き始めが淡桃色の清楚な形と色の組み合わせの妙に魅せられる。残念な事にその色の故か、これを玄海羽衣と呼んでおられた北田さんは程なく病没される。師を失った後も諸先輩方の尽力で園芸部は残り、展示会で玄関を飾る等の活動が続けられた。
 
 そんなある日、同好会を主導いただいた運転手の村上さんを頭に有志が集まり、故人の伝えを頼りに荷揚げ岸壁北側の原生林を原木を求めて踏査する事となる。苦心の末辿り着いた所に、直径一尋程の窪みを発見、皆唖然と立ちつくす。盗掘である。巨岩の連なる谷合をどう運び出したのだろうか。玄海の椿は今では展示館前に移植されている太閤椿を知る人も多いが、当時園芸部で秘
太閤椿
かに育てていた挿木が温室からごっそりと盗まれた事もあり、好事家の間ではその噂が知れ渡っていたのかも知れない。 その後村上さんが、近隣の庭先で椿の大株が直径二米もの大鉢に植えられているのを見た事があると聞いたが、それがこの椿ではなかろうか。主木は既に朽ち幹の周辺から出た脇芽だけが青々としていたと言うが今となっては推測の域を出ない。幸い私が所有していた苗も立派に育ち挿木で増していたので、これを機会に我家の庭に分植して保存をはかる事とした。

 二号機送開後のある日、風の便りにかこの話を伝え聞いた先輩の方から、是非一穂をと請われてお分けしたところ、数年して花をみた事、その花葉色形とも素晴らしい事を書き綴った便りをいただく。親切心からか控え目に、花形からは羽衣よりは淡雪が相応しいとの添書が認めてあった。
 
 その後仕事の関係先である原子燃料工業の石田常務(当時)が大の椿愛好家で、熊取工場内に原子力発電所から野生の椿を譲り受けて植樹されていると聞き、例の白椿の小鉢と増設予定地にあった藪椿を一株送っておいた。その後出張で出向いた際、伊方・大飯原子力発電所から寄贈されたものに混じって、立派に根付いた椿を見る。又常務のお宅にも招かれ、広大な温室で育つ椿を拝見させていただいた。小さい乍ら例の白椿も元気に育っていた。程なくお礼にと送られて来た大図鑑「日本の椿花」を見て、やはりこの椿は玄海淡雪が相応しいとの私なりの結論に至った。私が玄海を去り川内にあっても、この淡雪を一穂譲ってとの依頼が舞い込み、工面して冷蔵便で挿穂
玉之浦
を送った事を覚えている。
 
 この夏、八年振りに玄海に戻った折り、貯水池横にあった推定六百年の通称元寇椿が盗掘に遭ったと聞くに及び、益々この貴重な種を後世に残し、出来れば地元のためにも活用できないかと考える様になる。淡雪のような発見例は、近年上五島で見つかった「玉の浦」に匹敵するとも劣らないものである。玉の浦の場合は商業ベースに乗せられ、真に椿を愛好する人達に行き渡ったとは言い難い。淡雪の場合この轍はどうしても避けなければならない。

 この夏、村上さんも定年で去り、松、椿、蘭、皐等を得意としていた諸先輩方は全ていなくなり、二十余年の歴史を綴った玄海園芸部が、時の移り変わりとは言え姿を消したのは淋しい限りである。せめてこの玄海の大自然の中で数千年とも思える悠久の年月を経て、天然交配で発生した貴重種を護り後世に伝えるのが、数少なくなった当時を知る者の義務でもあろう。玄海十七年の勤務の中で、私が散策中に発見した、断崖の縁に荒波を避けて秘やかに咲く夕菅(ゆうすげ)がある。これも開発の進んだ現在にあっては貴重な野生
玄海淡雪
の草花である。淡雪、玄海松、夕菅等を玄海が誇る自然との共生の証として、拡めていく術はないかとあれこれ考えを巡らせている。

 俗に花盗人は憎めないと言われるものの、この玄海の地に伝わった三大原生椿、淡雪、太閤、元寇のうち、古の姿を留めるものは太閤椿のみであり、辛うじて淡雪の花だけは細々と引き継がれてはいるが、元寇椿にいたってはその花さえも残っておらず残念でならない。

 二十年来玄海淡雪を育てて気付いた事は、花の優美さや丹念に樹姿を整える性格と引きかえにか、その成長は遅く通常の椿の三分の一程度である点にある。その故にまた失われた歳月が悔やまれるところでもある。この玄海淡雪の一株を自立出来る程にまで育て、いつの日か元の位置に戻し、自然との調和の中に永久(とわ)に原子の火を灯し続ける玄海原子力発電所のもう一つのシンボルとして残したい。そんな思いが、眼下に果てしなく広がる海原を眺めながら構内を巡る折りに、ふと脳裏をかすめる。






 樋口所長様、有難うございました。
 私は樋口様とは十数年前からのボランティア仲間で、ずいぶん親しく、気安くおしゃべりしてきて、後に原発の所長さんになられて、そんなにえらいかたと知らなかったので、びっくりしたのでした。この原稿をいただきに玄海原子力発電所に伺ったのは、先月14日です。冷たい風のなかをまだちょっと早い『椿園』の中を歩きまわり、次に冷え切ったからだを観賞用温室の亜熱帯の空気の中で温めながら、しばし俗世間を忘れたような幸せな気分にひたりました。温室を出て駐車場に向かうとき、発電所の建物群の合間に紺碧の玄界灘が垣間見えて、夕日がひときわ大きく輝いていました。

 では、椿園と温室の写真をおたのしみください。

   
椿園の碑 椿園の案内
松林の中の椿園
雛侘助 

太郎冠者
       

樹齢450年の太閤椿の幹

西王母
 
 
温室の瀧
ディスプレイ温室 熱帯温室
玄海原子力発電所椿園の椿まつりは、2月18日です。
      
今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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