#78
平成18年
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このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶

マイケル・ポドリン氏



マイケル・ポドリンの巡礼の旅
―Footsteps with Ryokan-san―






 9月です。少しはいいこと、ありまして?
 6、7月の大雨、8月の猛暑、台風・・・。 お客様もキャンセル続き。
 でも、ちょっとすてきな、心を洗われるようなお客様が7月はじめに泊まられました。6泊も、お一人で。
 アメリカはワシントン州のシアトルから、良寛さまの跡を慕って巡礼の旅に来日されたマイケルさんです。巡礼の終了後にうちに見えましたので、旅の様子をお聞きしました。感激しました。ぜひこのページでご紹介したいと思って頼みましたら、快くエッセイを書いてくださいましたので、英語版の女将のページの今月号に載せています。
日本語のほうは私のヘタな訳ですが、どうぞごゆっくりお読みくださいませ。




Footsteps with Ryokan-san 良寛さんと歩む

マイケル・ポドリン

 2006年6月に、私の長い間の夢が実現しました。 これまでの私の人生の大半を魅了してやまなかった日本の国と文化へ旅することです。4年前に私は瞑想をすることで霊的な旅を始めましたが、その瞑想はまっすぐ日本へと私の目を向けたのです。私に日本人に広く愛されている禅師、大愚良寛(1758−1831)の詩を教えてくださったのは座禅の師であるワシントン州のオリンピア禅センターのエイドウ・フランシス・カーニー老師でした。この夏の私の旅は、良寛さんの足跡を辿る巡礼であり、彼の詩と日本文化を目の当たりにする旅でした。.

円通寺 良寛堂
 エイドウ老師に導かれ、私と他の四人の弟子は玉島(倉敷市)の円通寺から巡礼を始めました。円通寺はおよそ300年前に建立され、1779年に当時21歳の良寛さんが師に従って厳しい仏道修行に入ったところです。この寺はオリンピア禅センターのメンバーにとっては特に意味のある所です。私たちの師が仁保哲明老師のもとで円通寺で学んだからです。

 時差のためぼんやりして着いた倉敷駅には驚いたことに撮影隊が出迎えていて、このあとの円通寺での五日間をドキュメンタリー取材するとのことでした。円通寺で最も思い出に残ることの一つは、僧俗両方のかたたちと過ごしたひと時でした。私達は今まで経験したことのない信じがたいほどの親切なもてなしを受けました。良寛堂に泊まらせていただいて、もったいないことでした。 ここは、良寛さんが住んだお堂です。私は良寛さんが約225年前に歩いた同じ床の上で、ぐっすりと、夢も見ずに眠ったのです。

 思い出はつきません。夜明けの座禅で激しい雨音に洗われるようだったこと、そこへ巨大な蜘蛛が現れたこと。眼を閉じて座っていましたら、隣のケイトが肘でつついて私達の目の前を蜘蛛が這っていると教えてくれました。蜘蛛はしばらく前後に行ったり来たりしたあとに、反対側の隣のフレッチャーの着物によじ登り始めました。私達は眼だけで蜘蛛の動きを追っていましたが、フレッチャーは着物をパッと一振りして蜘蛛を跳ね飛ばしました。蜘蛛は丸まって台と壁との細い隙間に消えて行きました。その後巡礼の間中、座禅をするときには私は眼を半分だけ開けていることになりましたが、これはまことに作法にかなったことですね!
  円通寺 仁保老師(前列中央)と


 円通寺では音楽演奏や茶会、太極拳、夕食会、そして皆さんの暖かい抱擁を受けました。私達は広島に日帰りで出かけて、平和公園を訪れ、なんの罪もないのに命を落とした人や未だに原爆の恐ろしい破壊力のために苦しんでいる人々のために般若心経を唱えました。私はこんにちの世界が今なおそのような大きな破壊の可能性を残していることに恐怖と悲しみを覚えました。

 私達の巡礼は良寛さんが生まれ、亡くなった、新潟県の出雲崎に向かいました。国上(くがみ)山に登り五合庵を訪れました。ここは山の中の小屋で良寛さんが26年ほど暮らしたところです。ここから里へ降りて村々を行乞したり、子供達と遊んだり、村人と酒を飲んだりしたのです。ちょうどお昼時だったためか、バスいっぱいに乗り込んだツーリストたちがあたりにいなくなり、1時間ほどを静寂のうちに過ごしました。良寛美術館を訪れ、詩や書を本でしか見たことがなかったので、実物を目の当たりにして圧倒されました。
五合庵


 私達の旅の巡礼の部分は終わりましたが、私達は福井県の永平寺で一晩過ごしました。ここは世界でも最も大きな力を持つ禅寺の一つです。永平寺は1244年に中国で仏教を学び曹洞禅を日本に広めた道元禅師により創立されました。曹洞宗の二つの大本山の一つである永平寺は現在も機能している修道院であり、200名ほどの修道僧が住み込んで修行していますし、多数の訪問客が座禅を組んでいます。

 永平寺は霊力のある聖地であり、ここを訪れるとたちまちに全神経が感応します。70以上の建物が樹齢700年の老松の谷間に散在し、建物の杉材から香立つアロマ、観経の香のくゆり、僧達や何千人の客たちの足でなめらかに磨れた急な木の階段、周りを圧する杜の静寂が僧衣の衣擦れの音や、読経の鉦の音、太鼓の音で破られます。

 良寛さんの足跡を辿る旅の公式の旅程が終了し、私たちは京都で文化やお寺の庭園、そして家族や友人へのおみやげの買い物に、数日をひたりました。皆と一緒にシアトルへ帰らずに、私は直島(岡山県)に向い、ベネッセ アート サイト、地中美術館、アートハウス プロジェクトを見ました。

 禅寺の歴史的な美から、安藤忠雄のコンテンポラリーなコンクリートとガラスの建築へと切り替わることは、劇的でありながら、その実,、聖なる地から文化の本流への裂け目のない移動でした。
京都にて
円通寺の三宅さん、フランシス・カーニー老師、私、ケイト・クロウ、フレッチャー・ウォード、ミッキー・オルソン
私はコンテンポラリーなアートの流線的な概念は好きですし、それがうまくいった場合は禅の最も根本的な一面を表すと思います。海をみおろす断崖の上にあっと驚くように立つベネッセ ハウスは、贅沢なホテルと現代美術の美術館が一つになったもので、サム・フランシスやジャクソン・ポロック、アンディ・ウォーホールなどの視覚的な作品を展示してあります。 
 直島から、私は最後の目的地である旅館洋々閣へ向いました。そこで経営者の大河内夫妻、従業員のみなさんに行き届いた世話を受け、6日間を宿泊してここを拠点に唐津と周辺地域を探索したのです。たまたま旅の準備をしているころに、2005年5月号の「グルメマガジン」を読んで器と料理の記事が出ていましたし、その記事の中に洋々閣が出ていましたので、すぐにここに行こうと決めました。
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 またシアトルの友人から、テリー・ウエルチ氏を紹介されましたが、氏は長い間大河内夫妻と友人でした。(テリーの洋々閣の庭園についてのページTerry’s essay on the gardenをごらんください) テリーが旅の計画を練るのに助言をくれて、京都にいる間は庭園の見学に焦点を絞ればよいと教えてくれたのです。

 唐津では陶磁器三昧でした。ある日曜の午後、幸運にも中里隆さんを訪ねることが出来ました。バロック音
中里隆先生
楽がやわらかに流れる中、土を器に作っていく作業は、瞑想の修行のようにも見えました。私が見たものは、人生と芸術の創造に全身で向き合う真正な一人の人間でした。私は氏の作品の水差しを購入してシアトルに持ち帰りました。それは今目の前にあって、この日本の宝である陶芸家とお会いしたことを毎日思い出させてくれます。

 私は日本の人々と、私が”内側”からこの国を見れた幸運をいつまでも忘れません。私の誕生日は日帰りの有田旅行で過ごしました。その日は七夕のお祭りの日で、こどもたちが天の川を祝って木に手作りの飾りをつけるのです。有田へ向う車両一つの黄色いディーゼルカーの中で、母親と二人の子供連れが日本人の暖かさを見せてくれました。

 私が乗車したとき、8歳くらいの男の子が食べていたアイスクリームから顔を上げて、笑いながら「外人!」と叫びました。彼は向かいの席から私を興味深そうに見ていましたが、とうとう側に座って、「アメリカ人?」と聞きました。私は野球のバットを振る格好をして、「シアトルから。イチロー」と言いました。彼の目が輝いて、さっき通路の向こうの会社員からもらったアメを一つくれました。私の心はやわらかく溶けて、彼は母親と妹が降りるときまで、私に寄りかかっていたのです。

 私は恋に落ちました。日本に・・・土地と人々と文化と食べ物とに。思いやりに満ちた国に!私の全ての旅の中でも最も楽しい思い出の一つとしていつまでも残るでしょう。そして、私は又すぐに来ます。私に心を開いて興味と優しさをもって手を差し伸べてくださった多くのみなさんに感謝しています。

 私の家族と、師たちと、友人に愛と感謝を込めて。

          

         Michael Podlin (マイケル・ポドリン)   




マイケル・ポドリンはシカゴで生まれ、育ちました。サンフランシスコに10年間暮らし、現在はシアトルに住んでワシントン州立大学人文科学部の副学部長を勤めます。
連絡先は:
mpodlin@sprynet.com


(右の写真はベネッセハウスにて)

      
 
 いかがでしたか。日本人の私にも簡単にはできそうもない巡礼の旅ですが、いつの日にか五合庵には行きたいですね。良寛さんと貞心尼の相聞歌が大好きですので、貞心尼の気持ちになって、国上山の山道を辿ってみたいと思います。
 それでは皆様、夏のお疲れがでませんように。さようなら。



今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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