#85
平成19年
4月

このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶

トッポッキ(に見えますか?)


 皆様こんにちは。

 今月は、1月に私共にホームステイした韓国女性、全順玉(チョン・スノク)さんのエッセイをお届けします。全部スノクさんが自分で書いたもので、私は全然訂正していません。スノクさんはテグで高校の先生です。日本語を教えているのですが、休みのたびに日本に来て実際の生活を見てみたいのだそうです。

 2週間の間に、お茶のお稽古、陶芸体験、着物屋訪問、など、私も一緒に楽しみました。2度程、スノクさんが韓国料理を作ってくれました。トッポッキ、チジミ、ピビ
パッ、ワカメのスープなど。おいしかったですよ。デモ、辛かった〜。ヒ〜ッ!

 帰っていく時に私が宿題を出しました。旅行記をお書きなさい、と。それがこのエッセイです。
おたのしみください。






13日間の旅
全順玉

 初めに洋々閣の女将さんから紀行を書いてみたらと誘われた時、日本語で書くことはもちろん、唐津について歴史の知識もないし、それを言葉に出せるぐらいの自信さえない私に全然できないと思って戸惑いましたが、結局深い知識ではなくて、どんなに些細なことであっても自分の中では大事に思えることを日記みたいに書いてみようと思って紀行を始まりたいと思いました。

一人旅、ホームステイ、洋々閣、唐津。。。

 それは「因縁」としか言えないと思います。「袖が触れるだけでも縁がある」という韓国の言葉があるんですけど、これはただ袖だけじゃないんですから。

私は3年前、遅いながら日本の留学の準備をしていたことがありますが、色々休職の壁にぶつかってしまって諦めさせられました。その後、ずっと胸の中では日本人の暮らしを間近で見てみたい、呆れるほど日本語で喋ってみたいという思いでいっぱいでした。学校の日本語の教師としてテレビで見たこととか、本で読んだことではなくて、自分で経験したことを伝えたいと思っていました。これがホームステイということのきっかけです。


 私は人見知りが激しくて、勇気とか全然なくて、今になって考えてみると、どこからそんな発想が出てきたか不思議に思えるぐらいです。最初、友だちからホームステイは唐津というところだヨと紹介してもらった時、「からつ」という発音が「からす」に聞こえて漢字が全然頭に浮かべなくて、とりあえず辞書と地図を探してみたんですが、唐津の情報を読んでみてもどうしてもピンと来なくて、不安だらけのまんま、2007年1月8日、プサンから船で博多埠頭に到着することになりました。地下鉄の駅まで行く途中でタクシーの運転手さんに何のご用ですかと聞かれた時、「今からホームステイですけど、とても不安です。私は人見知りで、それに相手がどんな人か知らないんですから。」と答えたら、その運転手さんの一言は「日本にはいい人がたくさんいますよ。きっといい人に決まってますから、あなたはとにかく明るくして!!」。それから唐津行きの電車の中で「とにかく明るくして!!」という言葉が頭から離れなくて、これはきっと私の今の素顔をそのまま表現してもらった言葉で、この旅が終わるまでずっと心に刻んで置こうと思いました。じゃ、頑張ろう、いよいよ本格的にホームステイへの出発!!


洋々閣女将 順玉 洋々閣社長

 周りが暗くなってきて、洋々閣の社長さんのお迎えの車の中からはスポットを浴びている唐津城が見えてきて、わくわくしながら「洋々閣」に最初の第一歩を踏み出しました。「洋々閣」、何の情報なしに会ってしまって誠に申し訳ないと思ったのが初インプレッションでした。百年の歴史を守ってきた古い旅館だと、私、凄い所に来てしまったと思いました。何と美しい旅館だろう。私は以前から訳もなく古い建物に憧れているのに、まして日本の「旅館」ということ自体が初の経験だったので、何とも言えなかったんです。こんなに立派なところでお世話になっても大丈夫かなというのが正直の気持でした。それに大河内社長さんの30年を越える韓国愛と社長さんに負けぬぐらいの女将さんの韓国語の知識や素晴らしい発音に驚きました。私もこれからもっと自分の国のことを勉強しなければならないと思いました。


石垣の散歩道

 その翌日から私の唐津散策が始まりました。唐津は私の故郷である韓国の晋州(チンジュ)と似ているところが多い町だと思いました。とても静かで、こぢんまりとした感じがしていて、誰にでも心暖まる感じをさせるような所でした。その中でも洋々閣から見える唐津城に沿って続いている「石垣の散歩道」は私の一番のお気に入りの場所になってしまいました。その右側が海で、はじめはそれが川だと思えたぐらいとても静かできれいで、こんな散歩道を毎日歩けたらなんて幸せだろう。唐津城の隣に高校がありますが、その学校から聞こえてくるチャイムが韓国のそれとは全く違うのに何かとても懐かしくて、自分の職業のせいか、教室に入りたくてたまりませんでした。


時の太鼓




 期待もせずにちょうど11時に通りかかっていたら時間を知らせる人形が出てきて太鼓を打ったのです。それもまた何気なくうれしくて「やった、今日は大吉!」と内心叫びました。






 

唐津駅の曳山像

 時の太鼓櫓を通りすぎて少し歩いていくと唐津神社、曳山展示場につながります。曳山という言葉は私にとってはとても難しい漢字であって、読むことは勿論、知識が全然ないまま展示場に入ってみたらそれは恐ろしいものでした。あいにく誰もいなくて薄暗い照明の下で一人であったのがその時の雰囲気をもっと味わせてもらったのかも知れないんですが、まるで怪物のように全身に感じられました。あまりにも大きくて怖かったのです。それが何に使うものか、展示場の中に置いてあるビデオを見てやっと山車の一種だと知りました。私にとって日本のお祭りと言えば京都の祇園祭り、大阪の天神祭り、青森のねぶた祭りがせいぜいの知識ですが、唐津のお祭りである「唐津くんち」がこんなに盛大で活気の溢れるお祭りだとは初めて知りました。それにお祭りの掛け声がとても韓国語と似ていて、唐津という地名はもしかして韓国と関連があるのではと思いました。唐津駅前のアルピノに「加羅津」というレストランがありますが、その漢字が不思議そうに思えて考えてみたのですが、「から」ということは昔の韓国の国の一つである「加耶」と「新羅」から名乗ったのではないかと勝手に想像してみました。

近松寺のお茶屋

 曳山展示場を抜け出して近いところに近松寺がありますが、個人的にここで近松寺のお話をしたいと思ったのは裏のお庭にあるお茶屋のことだけど、それがあまりにもきれいで、欠かすわけにはいかなかったのです。まるでひっそりと楽しみを隠れているようで、私の気を引かれたのかも知れません。日本のお茶については全然知らないんですけど、洋々閣の女将さんのおかげでお茶の稽古みたいなことを一度拝見させていただいたことがありますが、それはとても難しくて、日本の総合芸術と言っても過言ではないということだけはわかっています。昔からの日本人の趣味はとても物静かで奥ゆかしい感じがしていて心が落ち着いて穏やかになるのではないかと思いました。


旧唐津銀行本店

 洋々閣の帰り道に旧唐津銀行本店があるようで、寄り道してみました。私の大好きな古い建物ということで、ぜったい見逃せないと思って行ってみたら、さすが。私は特に日本の明治、大正、昭和初期時代の建物が好きですが、どうして日本人は古い建物を保存できるんだろう、うらやましかったです。韓国にも全然ないとは言えませんけど、たとえ20世紀前後は日本の統治下時代だったとしても、歴史の跡として残すべきでした。

それから唐津の代表的な古い建物といえば高取邸がありますが、今は修理中だそうで、見損ないそうでしたが、女将さんの配慮で運よく見ることができました。あまりにも見物することに夢中になって写真を撮ることさえ忘れてしまって残念でした。



伊万里 大川内山

 13日間の旅の中で私の日記が一番長かったのは伊万里の大河内山へ訪ねた日でした。その日の気分は一生忘れられないと思います。ワンマン列車に馴れていない私は初めの日ずっと停まっていた小さな電車があったんですけど、これはないと思ってそのまま乗り遅れてしまってその日は諦めたのです。その次の日に自信満々となって乗っていたら、窓の外の景色が素晴らしくて、一人旅という感じがして、ああ、これからは本当に一人旅ができるような気がして、いつかNHKの「鉄道の旅」という番組を見たことがありますが、いつか自分もしてみたいなあと思いました。その日は曇りで、ちょうどいいぐらいの肌寒いお天気と人足が絶えて物静かな町であって、一人で密かに興奮していたのです。自分はちょっぴり寂しさを感じられるのが大好きですから。

 唐津に来て初めてここの陶磁器について知るようになりましたが、唐津焼、伊万里焼、有田焼、それぞれ個性たっぷりで、優雅な気品があって、唐津焼を見ると唐津焼が気に入るし、伊万里焼を見ると伊万里焼が気に入るし、有田焼を見ると有田焼が気に入りました。唐津焼は女将さんの紹介で体験することができて、自分の作品はどうなっているんだろうなと楽しみにしています。

 その日の帰り道のワンマン列車では、いい気分を抑えられなくて缶ビールを飲みながら、メモをしていたのですが、着いた時は酒臭いかもと思って慌てて、すっかり暗くなってしまった唐津の自分だけの散歩道をわざと小走りに急いで帰ったのです。

 現実に戻った今になっては、まるで全てのことが夢みたいで仕方がないですが、こんなにたくさんいい思い出を作ることができたのは何よりもいい人に出会えたからだと思います。私は「出会い」と「巡り会い」という言葉の違いを知らないのですが、両方とも「旅」と連想ができて好きな言葉になりました。ここでいい思い出を作っていただいた洋々閣の社長さん、女将さん、それから皆さんに、何から何までお世話になってしまって改まって感謝のお気持ちを込めてこのつまらない旅のお話を終わろうと思います。

 誠にありがとうございました。ぜひ大邱(テグ)にも遊びにいらしゃってください。    


 いかがでしたか。その後スノクさんから、コチュジャンやなにやかや、韓国料理の材料が送られてきました。わたしも一度、韓国料理に挑戦しましょう。食べにお出でなさいませんか。ウリチベ ノロ オセヨ!
     アンニョン! また来月。



今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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