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唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
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#1 御挨拶

#92
平成19年
11月



わが町の曳山自慢 その1
刀町の粋な若旦那





 アー、エンヤー、エンヤー! 今年も唐津くんちがやってきました。

 このページの毎年11月号はおくんち特集にしていますが、今回から各町内の「よか男」を私の好みで選んで、「わが町の曳山(ヤマ)自慢」を書いていただくことにしました。はたで見るよりずっと深く、ヤマの世界に潜入しようという魂胆です。面白いものになること、請け合い!

 一回目は、一番山・刀町・赤獅子の、池田聡氏です。サトシくんは、刀町の角に創業大正2年の老舗呉服店の池田屋の若旦那。男雛のような顔立ちに着流しの紬を着て、革靴をはいてバイクを飛ばす姿は、「わ〜、カッコいい!」と、道行く人を振り返らせる、ウワサのワカダンナ。唐津がこのままでいいのか、という疑問に発した若者の会を主催し、時々コンサートや映画会を企画して、洋々閣でも数回開催されました。来月の12月16日には原田知世さんのコンサートがある予定です。私も面白いこと好き人間ですので、普段の値段とちがった価格帯でサービスさせていただいています。

では、若旦那の粋な世界へどうぞお入りください。




わが町の曳山衣装自慢
刀町 池田聡



唐津くんちでは勇壮な14台の曳山(ヒキヤマ)と同時に、曳山を曳く人(以下、曳き子)たちが袖を通している衣装に目を向けるもまた、楽しみの一つ、のハズ。
 そもそもくんちの衣装が町火消しの装束から発展したことを考えますと、刺子の施された厚手の木綿地に、文字や絵が染め抜かれているのが最もらしいのですが、ここ唐津においては江戸時代に発令された奢侈禁止令によって押さえ込まれた町人たちの心意気を今頃になって反映させたかのような衣装の数々。そこで「わが家の曳山自慢」初めの一歩は、一番曳山(この場合「ヤマ」と読む)赤獅子を曳く私が『わが町の曳山衣装自慢』と題してひとこと。

 と、その前にくんち衣装をご覧になるのが初めてという方に向けまして足元から実際に着る順番でご説明いた
綿足袋
しましょう。まず足元には深い藍色の綿足袋あるいは黒の朱子(シュス)足袋。そして真っ赤な鼻緒が珍しい雪駄(曳き子は「くんち草履」と呼びます)は、玄関先で間違わないようにか、町によ
くんち草履
って焼き印やハンコ、プリントで町名等が記されています。ちなみに刀町の草履には、カカトの部分に「刀若」とプリントされています。

 そして両足は「パッチ」に包まれ、上半身は「江戸腹」と「テコ」。いわゆるひとつの町火消しによく見られる三点セットですね。色は黒と藍がありますが、こちらも町によって好みがあり使い分けていて刀町は黒で揃えています。

 
パッチ 江戸腹 テコ
さて、これらを下地としてココからが「わが町の何チャラ」です。 まずはくんち3日間の無事を祈念してお守りをタスキがけにするリリヤン。もともと女性が心を寄せる男性あるいは家族の無事を祈って紐を組み、お守りを添えて送ったというのが起源だと聞いています。それを示すように僕の小さい頃はそれぞれが好きな色の紐を組んだり組まなかったりしたモノを身につけていました。ところが近頃は勝手が違いまして、同じ色で同じ組み方のリリヤンをしないといけない町がほとんどで、刀町はご覧の通り。我が家は中に入れるお守りだ
リリヤンという組みひものお守り掛け
け、毎年家内が入れ替えてくれています。しかしながら町で揃っていますと、さすがに見た目がキレイで写真写りが大変良うございますとのもっぱらの評判です。

 続いて袖を通すのが肉襦袢(にくじゅばん)。それぞれの町で検
肉襦袢
討を重ね、数年毎に変わる町もありますが、刀町は僕が物心のつくずっと昔から変わらないこのデザインです。背中に大きな「刀」の文字、腰回りには刀の鞘型を表現した大きな菱形、衿には白抜きで仮名文字にした「刀」と漢字の「組」を。そして14ヶ町で最もシンプルなデザインを誇るこの肉襦袢の最大の特徴は、生地にあり、14ヶ町で最も良質の羽二重地を用いている
羽二重の生地 襟の「かたな組」
と自負しています。染めの中でも最も難しいとされる黒とその対象にある白。色や柄が無くごまかしが利かない分、それらをより鮮明に魅せるための最良の選択なのです。ちなみに現在は大人用(子供用はほとんどが木綿)の生地でもお手入れの観点などからポリエステルを用いたり、同じ絹でもポリエステルとの交織や様々な種類の生地が用いられています。
博多織の角帯


 そして肉襦袢の腰には帯を。その帯は博多織で、こちらも絹100%の角帯です。以前はリリヤン同様にバラバラでしたが、近年ほとんどの町が揃えるようになり、刀町も10年程前に獅子の身体にある巻き毛を表した毛卍文(ケマンモン)の両側に大小二本の縞からなる子持縞を配した現在のデザインとなりました。
長法被


 さらにその上から長法被。衿には白抜きで「刀若」、表地には久留米絣(木綿)を用いています。僕が小さい頃には茶色の縞のみのデザインでしたが、赤獅子奉納150周年を記念して新調、現在に至りました。木綿の生地に型染めをすれば割と簡単にできましたのに、敢えて糸を先に染めて模様を織り出す絣を選
久留米絣の長法被の背中
んだところが最大の特徴です。(ちなみに13番曳山「鯱」を奉納する水主町も同じ久留米絣を用いています。)そしてこの正絹の肩裏。地味な表に派手な裏、いかにも粋でいなせな町人文化という選択ではないでしょうか?これに決定を下した当時の年寄衆の最大の功労だと、僕の心の中では常に拍手喝采なのです。

 そして最後に締めるハチマキは、刀町において唯一変化に富
長法被の襟と真紅の肩裏
むアイテムです。上から、当時はほとんどの町がそうだった豆絞り、大きな鞘型、小さな鞘型(今でもコレが好きです)、170周年記念、180周年記念、現在しているヤツ。基本は赤×白+緑といったところでしょうか。 さて、すべてを身につけて「正装」と言われています。刀町は一番曳山ということで、11月3日の御神幸では角の後ろに神様の寄代である御幣を備えて巡行します。そこで数年前から唐津
ハチマキの変遷
神社の神主様からのお達しで、温暖化と反比例してどんなに暑くても正装で曳かなければならなくなりました。特にくんちの醍醐味であるお旅所の曳き込みの際には参るほどの暑さな上、真っ白な肉襦袢に肩裏の深紅が摩れてうつることがあり自慢の衣装がピンクになるという赤獅子の曳き子故の、、、です。が、それさえも平気に魅せる精神力、それこそが『わが町の曳山衣装自慢』なのです。
 な〜んちゃって。
 

 追伸 14ヶ町で最も古く1819年に赤獅子を奉納した刀町。その町名の由来は諸説ありますが、「その昔、当地に苗字帯刀を許された豪商が多く住んでいた」ことからそう呼ばれるようになったというのが有力だとか。

足袋、パッチ、江戸腹、テコ リリヤン、肉襦袢、帯、ハチマキ 長法被で正装出来上がり


ねエ。ホラ、面白かったでしょう?こんなに詳しく祭りの衣装のこと、知りませんでしたものねえ。

唐津の町の男性諸君はくんち衣装を着たときが一番男振りが上がるのですよ。粋でイナセで。ヨッ、いい男!

真中が若旦那

ではまた来月、おあいしましょう。




今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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